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5つ星ホテルとして名高いホテルニッコー大連は、規律正しく、細やかで、気配りのいきとどいた日本式のサービスにより、初めての訪れたゲストや常連客を驚かせている。ある午後、記者はホテルニッコー大連の木下和男総経理にインタビューを行なった。同氏は30年以上にわたってホテル経営に携わった経歴を持つ。長年の経験による同氏の着眼の鋭さと明晰な頭脳は、細かい気配りを実現させ、常によりよいサービスを追及し続ける姿勢を映し出す。 大連についてどのように思われますか?
2005年12月に初めて大連に来た時、大連には「小さいながら綺麗な街」というイメージを抱いていましたが、実際に大連に来てみると、やはり大連の空気の良さ、清潔さ、整った開発には驚かされました。大連は観光都市ですが、街全体が今風で現代的。世界の他の観光都市と比べても大連は遜色なく、交通,言葉,雰囲気、どれをとっても素晴らしいと思います。 ホテルニッコー大連での出来事で印象深いシーンがあります。あるホールで木下総経理が腰をかがめて床を触りながら従業員に何かを尋ねているのです。実はそれは床のくすみで、木下総経理は改修の必要があるかと尋ねていたのです。ホテルニッコー大連の細やかさの一端を見た気がしました。ホテルニッコー大連の総経理という立場から、木下総経理はこのホテルを、またこの集団を、どのように評価されますか?前身がシェラトンホテルであっただけに、大連人にとってはホテルニッコーというよりもシェラトンホテルという印象が強いのですが、その点も個人的にどうお考えですか?
シェラトンホテルさんは非常に強いネームバリューをお持ちですが、私どもホテルニッコーの知名度もなかなかのものです。ホテルニッコーは東洋社会の管理様式および管理経験を持っており、心をこめたサービスを強調しています。これは他社様とは比較できないアドバンテージであり、細かく見れば、シェラトンさんも含めたどの5つ星ホテルにもホテルニッコーは負けないと思っております。しかしホテルニッコーには確かにその知名度を上げる必要があり、そのためにも我が社は今後大連市への貢献事業を増やすつもりでいます。大連に奉仕すべく、慈善事業を拡大していく所存です。現在ホテルニッコーは従業員を孤児院に派遣する“愛心活動”を展開しており、今後もこのような活動は増えていくでしょう。 日本人である木下総経理は、日本人だということを忘れてしまうほどに流暢な英語を話されますが、ホテルニッコーの従業員はみな大連現地の人間です。大連で生き残っていく日系ホテルとして、中国人メインの従業員に対して顧客は日本人や欧米人が多いというこの構造を、どうお考えですか?ホテルと顧客の間のコミュニケーションに影響を及ぼすと思いますか?
ホテルニッコー大連は日系のホテルですが、世界各地に支店を持っています。100にも及ぶホテルニッコーがどこかの国のどこかの都市にあり、ホテルニッコーの特色を殺さないまま現地の特色も組み入れています。ホテルニッコーでは管理者クラスはみな英語でコミュニケーションをとっており、お互いの間に障害や隔たりはなく、楽しく仕事をさせて頂いています。 現在のホテルニッコーでは、日本人主体が50%,中国人主体が30%くらいで、それ以外は20%くらいです。今後のホテルニッコーは中国人層を市場開発の対象として捉え、ホテルニッコーへの中国人宿泊客を呼び込んでいきます。 大連で暮らす日本人として、どのような部分が慣れませんか?大連人をどう思いますか?
大連人にはアメリカ人のような豪快で開放的な気風があり、他人に対して友好的。日本人としては大連での生活はとても快適です。普段の生活の中では、大連の工芸品店や、民族的な雰囲気のある小さな店も好きですし、中国の書道や絵画も好きです。今は大連の人と交流するのも好きで、中国語を勉強して大連人になろうと努力しています。
木下和男 プロフィール
1975年 日本東京サンパウロ(St. Paul)大学 文学士、 ホテル管理・観光科卒業
1976年 支配人 JETハワイ有限会社(アメリカ)
1982年 セールス部支配人 ハワイアンモナークホテル(アメリカ)
1984年 日本航空発展会社(現在の日航ホテル本社)が選定したフロント部副支配人日航成田ホテル(日本)
1986年 セールス・部屋監督部支配人 グアム珊瑚礁ホテル(アメリカ)
1991年 副総支配人(主にホテル運営担当)日航アトランタホテル(アメリカ)
1993年 総支配人 セールス及び市場監督 日航ジュッセルドルフホテル(ドイツ)
1997年 副総支配人 セールス及び市場監督 日航グアムホテル(アメリカ)
2000年 総支配人 日航サイパンホテル (マリアナ)
2003年 総支配人 日航ハウステンボスホテル(日本)
2005年 総支配人 大連東旭皇朝ホテル(中国) |